日本一の焼肉屋になる
私たちが日本一の焼肉屋になると決めてから
これまでに至る正泰苑の歴史を振り返ります。
今こうして皆さまに愛していただけるお店になるまでには
いろいろな苦労もありました。
日本一の焼肉屋になる想いをどうかご覧ください。
1978年
創 業
現社長の両親が町屋に焼肉店を開いたのは、1978年。もともと工場を経営する裕福な家庭だったが、オイルショックにより倒産。当時の在日韓国人は「生活が苦しくなったら焼肉屋を始める」が常識で、これにならって「正泰苑」をオープンした。今の総本店であるこの店は、当時は今の半分の広さで、現社長の父親が亡くなった後は母一人で店を切り盛りしていた。
1987~1995 修行時代
社長の金日秀は調理師学校を卒業後、そのまま講師として調理を教える側となったが、現場のことを知らぬまま現場について教えることに限界を感じ、すき焼き店やしゃぶしゃぶ店、ステーキハウスなどをアルバイトとして転々とする。ここで得た経験が現在の多彩なメニュー構成に繋がっており、直接仕入れに出向くスタイルや材料選びなど、最初から焼肉屋をやらなかったことで染まらずに済んだと金は考えている。
1995年
二代目継承
金の兄二人も含め、裕福だったころの反動で両親が頭を下げて飲食業をやっていることの嫌悪感から、店を継ぐことはまったく考えていなかったが、調理師学校で知り合った韓国料理の講師から「和食や中華に対して何も引けをとることはない」という言葉に衝撃を受け、世界に冠たる焼肉屋になってやろうと、正泰苑を継ぐ決意をした。
1995年~1999年 迷走と苦悩
今のように認められ、多くのお客様に愛されるようになるまでには、多くの失敗と苦悩、暴走があった。「これからは焼肉屋も魚の時代だ」とわけのわからない想いにかられ築地へ通い、お刺身を出したりして、焼肉屋なのにお客さんが魚ばかりを食べている状態になったこともあった。しかし、このときの失敗経験が、今のバラエティに富むメニュー構成の基礎になった。
ライバル店へ調査に出向き、「正泰苑、頑張れよ」と励まされたことも。
1999年
ネットで一躍有名に
正泰苑という屋号が一躍有名になったのは、インターネットが爆発的に普及し、それまで地域に限られていた情報が日本国中へ伝わるようになってから。”あそこ(正泰苑)は美味しい”という評判がマニアの間に広がり、瞬く間に「予約の取りづらい焼肉屋」として認知されることに。足立区のライバル店とよく比較され、この店には金も少なからず衝撃を受けていた。
2000年 2002年
東京レストランガイド1位
この受賞がきっかけで、より自信が深まり、ステーキがNo.1ではないはずだというシャクに障る感情が高まり、”日本一の焼肉屋”を意識することに。いばらの道には違いないが、あくまで自分たちの視点で、もっともっと美味しい焼肉屋を実現しようという気持ちはこの時期に固まった。
2001年〜
多店舗展開へ
当初は個店主義であったが、調理高校の先輩であった現在の某有名焼肉チェーン社長から、「同じ在日韓国人三世同士、焼肉のステージを共に上げていかないか」と触発され、内側にも外側にも発信できるビジネスモデルを目指すことを決意。ここが金の焼肉人生の分岐点となった。町屋駅前店を皮切りに、翌年には芝大門店、'05年に銀座店、'08年に新橋店をオープンした。
2006年
ザガットサーベイで25ポイント獲得
ついに正泰苑が世界からも高い評価を獲得。今になって実力以上の評価を受けてしまったとは感じているが、当時は純粋に嬉しく、常軌を逸した喜び方であった。金は根が貧乏人なため、必要以上にはしゃいでしまったと当時を省みる。ペニンシュラホテルでの式典にも呼ばれたが、居心地が悪くすぐに退出。ここで自信は確信に変わり、より”日本一”への想いが固まった。
2015年 9月
公式Webサイトオープン
創業から頑なにメディア取材を禁じてきた正泰苑だが、2020年の東京オリンピックを見据え、2015年10月に開店予定の「ららぽーと豊洲店」では今までとまったく違うアプローチも試みるため、今までの通りのこだわりが通用しない面も含め、より柔軟性と多角的な企画を展開する方針へ変更。
正泰苑がこれから何ができるのか、という大きなテーマを自身に問うひとつの手法として、このサイトをオープンすることとした。
2015年 10月
ららぽーと豊洲店 オープン
今まで大型商業施設への出店は一切断ってきたが、母親と妻と三人でやってきた正泰苑も今は仲間も増え、「焼肉で人を幸せにする」という大きな目標がある中で、少しでも多くの人たちにこの味を伝えられたら、と「ららぽーと豊洲」への出店を決意。
家族連れがスマホでこの店を見つけ、選べる店になってみようというチャレンジであり、気持ちの上では「三回目の創業」という意識からのアップデートである。
2025
正泰苑の目指す「日本一」とは
「一番楽しくて、一番美味しい焼肉屋」であること。
焼肉といえば正泰苑だよね、と認知される老舗になること。
牛肉を扱う企業としてベンチマークされる位置に行くこと。
これらの芯を守るゆるぎない店であり続けること。
老舗の焼肉屋であったとしても、
変わるべきところと変えてはいけないところがある。
何をするにしても、なぜそうするのかという理由があり、
なるほどと言ってもらえる変化であること。
成長すればするほど根幹が薄れてしまいがちだが、
「これだけは譲らない」を仲間と共に守り続けていくことで、
名実ともに日本一になれると信じている。